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一人語りのみや

みやです。堂々と恥を晒せるようになります。

良い方向には役立たず無力なのに、悪い方向には攻撃力抜群になってしまうの、避けたい。

 

関係ない人は黙って見てて、助けるべき時はその人に直接手を差し伸べるべきだと思う

攻撃している人を同じように攻撃しても、助けたい人を救うことに繋がるとは限らない

守りたかった人を却って自分が傷つけてしまうかもしれない

自分が見る事実は、自分にしか見えない

他者が見る事実は、自分には見えない

助けたい人が、何を望んで何を望んでいないか 読み取る力が必要

 

物事を起こす時、いつでも結果を想像しながら動かなければ 僕らはただ傷つけ、傷つき合うだけの動物になってしまう

自分を守るにも他人を守るにも想像力がないと幸せな結末は見られない

 

名前も顔も伏せた場で発言すると、どうしても言葉の受け手がフィクションの登場人物のような、架空の存在のように感じてしまう場合がある

今これを書く僕だって他人への発信に使うためのこのサービスを 自分の思考の整理用のノートのように使っているし

でも、世界は広い。僕が行ったことがなくたってスウェーデンは存在するし 僕が食べたことない食べ物が一般的に食べられている国もある

僕が触れたことのない考えが僕の想像を遥かに超える数存在する

毎日会う人とさえ全てを理解し合っているわけではないのだから この世界はどうやってもこの頭では想像してもしきれない物事に溢れている

 

それでは想像力を働かせても無意味なのか?

違う 想像力で補えない「違い」で溢れているからこそ、想像して思いやって 少しでも認識の差を埋めたり 匙を投げるほどの「異質」だと感じてもこれ以上踏み込むと互いにどんな利益・不利益があるかを考え境界線を見極めることが必要だと思う

そして反対に 想像力だけで「理解した」と勘違いしてはいけない 解釈の不一致というのは時に大きなトラブルのもとになり得るので

出来ることなら想像し、探りながら対話によって得た事実で少しずつ認識を埋めていきたい

 

 

それが難しいから困ってるんだけどね!!!

人は冷静さを保てないし大抵の人間はいつも疲れているし(僕の周りだけか?) 「悪」と思った奴には正義の鉄槌を下したくなるようにできているんだろう

僕は今日ネットの嫌なところを見てしまったのでその時の感情を晴らすかのように正しそうな文章を書き連ねているが僕だってその嫌悪感を作る一員だってのに偉そうに長々と誰も読むことの無い文章を綴っている。12時回って少し眠いので話の筋も内容もまとまっていないし日本語もおかしいだろうし自分で当初書こうと思ったのは3行くらいのはずだったのに書き始めると止まらない。悪い癖だな。僕は悪癖の塊のような人間だと自己嫌悪する毎日なのですが、自分の良い癖を見つけたことのある人間っているのでしょうか。

 

 

結論:早寝早起きすると、こんな文章を書かずに済むと思う。そして、しっかりと休むと、ストレスも減り、みんなが自分も他人も思いやれるようになると思う。しかし、これらは理想論で、早寝早起きしたり、良い休養をとることは甘ったれた僕みたいな人間には難しいので、ストレス溜まってたり疲れてたりイライラしてたり余裕ない時はSNSから目を背けよう。

 

結論も長くなってしまった